春の引力

春という季節ともう一人の自分に殺されかけている。遺書を書かされそうになっている。

 

 

まず春の話からしよう。

春。この季節特有のそわそわ感のようなものを感じませんか。気持ちが落ち着かないだけじゃなく、身体もそわそわして気持ち悪い。春は、喜びの後ろに絶望が隠れているような感じがする。

でも、私の中の2月〜3月って、キラキラした思い出がいっぱいな筈なんだよね。夜、なかなか眠れなくて「明日バイトなのに起きられなかったらどうしよう」と思いながらベッドの中でドビュッシー聴いてたこととか。朝舞台のDVDを観てから学校行ったり、夜にひたすらレポート書いたり。お泊まり会して朝からホットケーキ焼いたり。大森靖子さんの音楽を聴きながら夜行バスで東京に行き、大好きな映画監督の映画祭やAKIHIDEさんのコンサート行ったり。

こんなにも美しい思い出でいっぱいなのに、同じような季節が巡ってきた今、どうしてこんなにも不安でいっぱいなのか。漠然とした恐怖感や焦燥感が湧き上がってきて死にそうになってる。何かが隠れている気がする。何か重大なことを忘れてしまっている気がする。気持ちが落ち着かないだけじゃなく、身体もそわそわして気持ち悪い。何かが身体を突き破って出てきそうな謎の感覚がある。


今日、お店で香水売場を覗いた際、とある香水の香りをかいだら、変なフラッシュバック起こしそうになった。何の匂いなのか全くわからなかったけど(知識がないので言葉で表現できない)、どこかで嗅いだことがあるような気がした。涙腺が刺激される香りだった。売り場から離れた今はもう忘れてしまったけど、その時は本気で怖かった。

別の香水からは、大学時代の春の匂いがした。そういう幸せな記憶すらうっすら恐怖を感じる。漠然とした恐怖感にしろ、幸せな気持ちにしろ、何かのきっかけでそれが突然呼び起こされて体にダイレクトに流れてくる感覚は気持ち悪い。キャパオーバーで死にそうになる。


どうしてこんなにも春に恐怖を感じるのか、原因を突き止めたくてずっと調べ続けていたところ、こんな情報にたどり着いた。3月は月別自殺者数が最も多く、自殺対策強化月間にもなっているんだとか。知らなかった。5月(いわゆる五月病)か9月(夏休み明けに行けなくなるあれ)かと思ってた。

世の中のあらゆるものが生命力に溢れてキラキラしているのになぜ?と思ったが、この季節特有のキラキラ感と(例えば「春だから新しいことを始めなきゃいけない」とか)、どうしようもない自分のギャップに耐えられなくなる人が多いんだとか。今日ばかりは、私だけじゃないんだな、と思えた。


まあほっとしたのも一瞬だけで、恐怖感は消えないし、毎秒泣きそうになるし、だから何?って感じ。久しぶりに抗不安薬を飲むことになってしまったのだが、「薬を飲むのは気持ちを紛らわせているだけで、不安そのものが消えるわけじゃないのにな」と虚しい気持ちになってる。でも、夜になってどんどん明日に近づいているのが怖いな、と思ってたら、無意識に飲んでしまっていた……なんてブレブレなの。


昨日、過去記事( 樹海の涙 - 人形の夢と目覚め )を読み返していたらこんなことを書いていた。


切ない夏の終わりも通り過ぎて、ようやく秋の訪れという感じがしますが、金木犀の香りを感じると泣きそうになる。秋の訪れ、幸せなはずなのに。今の時期、気温も高くなくて過ごしやすいし、昼下がりに陽の光に包まれる時間が心地よいなと思えるんだけど、同時に物凄い絶望感に襲われる。思い返すと、過去のこの時期はいつも学祭の準備とかワクワクする予定が沢山あって、秋は毎年キラキラ生き生きしてたはずなのに、どうしてだろう。全てが穏やかなのに怖い。幸せなはずなのに、自然の美しさを実感する度に泣きそうになる。何か重大なことを忘れている気がする。「季節の変わり目に調子が悪くなる」とはまた別の漠然とした絶望感。


「春が怖い。絶望と隣合わせの季節だから」とか言いつつ、去年の秋も同じこと言ってるじゃん。私は年中なにかに怯えてるんだね。

 

 

春の話はこの辺にしておいて、"もう一人の私"の話をする。


やっぱり私の頭の中に、私を殺そうとしてくる私がいる。ことある事に、もう一人の私に「死ね」とか「今すぐ遺書を書いて自殺しろ」とか「早く飛び降りろ」と言われる。仕事中や眠りに落ちる直前にもやって来る。最近私が死にたくなったのは、自殺しそうになったのは、私が死にたかったからじゃなくて、もう一人の私に殺されそうになったからです。


私、ずっと「死ね」って言われてる。もう一人の自分に。こんなこと、他人に言えるわけがない。心の中にもう1人の自分がいる、なんて言ったって通じるわけが無い。(調べてみたらそんなに珍しいことでもないらしいが、少なくとも私の周りの人には打ち明けられそうにない)

まあ、他人に「もう一人の自分に殺されかけている」なんて正直に言わなくても、ちょっと弱音を吐いたりすることはあるじゃないですか。そうすると決まって「あなたは自分で自分を苦しめてるだけ」と言われる。確かにその通りですけど、私は別人に追い込まれたような気持ちなんだよ。特にこの「死ね」「自殺しろ」と言われてる時は、私が私じゃなくなったみたいだよ。

毎日「死ね」って言われてる時期もあるし、たまにそういうのも忘れて楽しく過ごせてる時があっても忘れた頃に「死ね」って言いにやって来る。特に後者の絶望感ったらない。「随分楽しそうね。自分が死ななきゃいけない人間だってこと忘れてた?今、思い出した?今の今まで随分ぼーっと好き勝手に生きてきたのね。でもそんな生活ももうおしまいよ。早く死んでね」っていつもやって来るの。もう一人の私がね。貴方誰なの?

こういうのを専門家に相談すると、「それは過去にあなたを追い込んだ人だよ」と言ってくるけど、別に「死ね」とか言われてないし。私を一番傷つけた人は「死ね」とは言わなかった。私に「死ね」って言った人は話にならないくらい幼稚な人間だった。じゃあ誰?「死ね」って言ってる人。やはり私自身じゃないのか。他人の何てことない言葉を勝手に「死ね」に変換したのは私だから。

先生からは「あまりにも辛い出来事は、記憶が抜け落ちたりすることもあるの。思い出せないだけで本当はそんなことがあったのかも。そうじゃなかったとしても、子供時代の貴方はいつも安心出来ない世界にいたのかも」と言われた。そうなのかな。


因みに、もう一人の私からは常に「死ね」と言われてるけど、自分以外の他人からもそう思われているような気がしてならない。というか、他人と接している時は、いつも「殺される!」と思いながら生活してる。これも最近になって気付いたけど、本当に昔からだな。いちばん古い記憶でも中学の頃から。私は本当に何に対しても自信が無くて。仕事の能力みたいな具体的なことじゃなく、この世界に存在してること自体がもう何かの間違いなんじゃないかって思ってるんだけど(生きてる価値がないとよく言われるので)、そんな気持ちで生活してるから、ちょっと呼び止められるだけで「何だろう、何かしちゃったかな?」と身構えてしまう。特に職場や学校だと、上司や先輩に話しかけられるだけで、私が劣等生だからきっと今からなにか酷いことを言われるんだって想像して勝手に固まってる。でも、出来てない部分に対する指摘とかなら分かるよ。それはもう怖いとかじゃなく、「教えてくださってありがとうございます」でしかないし。私が想像して恐れてるのはそんなことではなく、自分の人格を傷つけられるような言葉を投げかけられること。

いや、こんなことを想像するのは相手にも失礼だってことはわかってるつもりなんだけど、指摘以上に「死ね」とか「殺すぞ」って言われるんじゃないかと思って怯えてしまうんだよね。「本当に生きてる価値ないね」とか「何もかもダメだね」みたいな。

「こんなこと言われた過去があったっけ?」と記憶を辿ってみたけど、「死ね」「殺す」の類はないけど、「お前はダメ人間です」みたいな刷り込みはずっとされてきたかもしれない。なんかもう無意識に、「こんなことしたら殺されちゃう」って思考になってる。でも、「殺される」って考える度に怯えて何も手につかなくなるわけじゃなく、殺される運命は受け入れた上で冷静に「ちゃんとしないと殺されるからね」と淡々と作業してるみたいな。何なんだろうこれ。いつも殺されるばっかり考えて疲れた。

 


こんな風に、ふとした時にもう一人の自分に「今すぐ自殺しろ」と言われたり、「もうダメだ終わった、殺されてしまう」と思ってしまったりするんだけど、その度にもう一人の自分に「今死ぬわけにはいかないんです」と語りかけている。「今死ぬと迷惑かけるから(死に場所が相応しくないという意味で)」とか、「私は死ななきゃいけないほどの罪を犯しましたか?」とか(考えすぎて"死刑"と検索したことがある)、「死ぬとしても、せめて会いたい人に会ってからじゃだめですか?」とか。こうやって挙げてみると単純でくだらない理由で説得を試みているようだけど、本人としては必死なのです。

 

最終的に、「この身体は私のもので、私に決定権がある。別の私を殺そうとしてくる誰かのものではない。いくらもう一人の私に死ねと言われても、意志を持ってこの体を動かせるのは私だけだ」と言い聞かせる。とにかく何度も言い聞かせて、もう一人の私が心の奥に引っ込んでくれるのを待つ。どれだけ泣いても、薬に頼っても、最終的にもう一人の自分が心の奥に引っ込んでくれたなら、私の勝ちです。多分。

 

病院で「こんなふうに戦って、今回も何とか死なずに済んだ」と話すと、先生は「本当によく頑張って生き延びたね。今回もとても苦しい思いをしたかもしれないけど、貴方は本当にどんどん強くたくましくなっていますよ」と優しい言葉をかけてくれる。

こういう優しいこと言われると、泣くほど嬉しいんだけど、今度からこれをちゃんと先生の顔を見て話を聞こう、と思う。ずっと下向いて話したり聞いたりするのも結構だけど(泣きすぎて顔をあげられないのも分かるけど)、「本当に私は生きのびてよかったんだ、私を認めてくれる人はいるんだ」と先生の言葉を正面から受け止めないといけない。言わせるだけ言わせて、暫くしたらまた落ち込んで泣いて、「もっと言ってください、もっと私を肯定してください」を繰り返すのは本当に駄目だと思う。私は今までそうやって甘えてしまっていたと思う。優しい言葉をかけてくれる先生に甘えてばかりではいけない。誠心誠意伝えてくれた言葉を信じる努力をしなければいけない。凄く難しいけど。