主人公

9月7日

専門家に「助けてください」とかいうのは需要と供給が成り立ってるからいいのかもしれない。 ただ、私は結局踏み台にしていく側なんですよね。向こうから「もう来なくていいよ」と言われることを恐れていたけど、専門家である以上、異動とか職務上の特別な都合がない限り、あとは私が相当な問題を起こさない限り、向こうから別れを告げられることは無い。そうやって「いつか見捨てられるかも」とギャーギャー騒いで嘆いている私の方が簡単に専門家を踏み台にして外の世界へ巣立っていくのだ。そうだよ、実際そうなんだよ。私だけじゃなく、世の中「私なんかどうせ見捨てられる、ずっと見捨てないでね!」と言っていた人間ほど勝手にどこかへ行く。私なんか簡単に切り捨てていく。

でも、我々(私と専門家)は最初からお金で結ばれた関係だから割り切って接することが出来る、みたいな所があると思う。需要と供給の一致というか。私が貴方達にしてあげられることは無いどころか、毎回長時間話を聞いてもらい迷惑をかけていますが……ただ、その代わりにお金は支払っている。別にお金さえ払っていれば何をしてもいいってわけじゃないし、支払った金額と私の行いが綺麗にイコールで結びついているわけではないんだけど、それでも我々が専門家に対して出来ることは金を払うことのみ。お金、でかい。専門家と患者という枠組みの中ではそれ以上も以下もない。迷惑かな、とか余計な心配いらないんだよ。多分、本当に迷惑な行動を繰り返す患者もいるだろうけど、とりあえず私と専門家の関係にだけ焦点を戻すと、「最初から金で成り立ってる割り切った関係なんだし、今後も常識の範囲内で病院を利用すればいい」が答え。

そして、病院やカウンセリングは訓練の場であって、将来「(医師やカウンセラーの立場から見て)我々がいなくても生きていけるように訓練しましょうね」ってことなんだよね。踏み台にするというより、人間関係の訓練のようなものだと捉えればいいのかな。ここまで書いて、転移が起きるのは治療的には良い傾向、と言われる理由がなんとなく理解出来た気がする。陰性にしろ陽性にしろ人間相手になんらかの感情を抱くことが出来る=今まで押さえ込んできた感情を表現できるようになる、からかな〜なんて。(全然的外れだったらどうしよう)

 


私よ、今の関係性について悲しまなくていいよ。割り切った関係故の安心感も存在するから……まあ出来ることなら、金銭の発生しない信頼関係を築いてみたかった(我儘)  でも、「金銭の発生しない信頼関係を築いてみたいんですよね」と相談できる相手は金で結ばれてる人間しか居なかった。悲しい〜〜。終わり

 


ただ、お金とか関係なく身近な人にそんなこと相談出来ないし、しようとは思わないな。簡単に踏み台にしていく人間は多いけど。踏み台にされたと感じるくらいだから、我々の間にはもともと信頼関係とかなかったのかな。悲しすぎますね。

 


これは今お世話になっている専門家に対してでは無く、過去に関わった専門家に対しても感じていたことなのだが、「味方だよ」って言われたところで(とても有難いよ、有難いんですけど)、「そんなの当たり前じゃん、金払ってるんだから味方でいてくれないと困りますわ……」という気持ちになってしまう。そんな当たり前のものを、私の信頼関係の数のうちに勝手にカウントするな……貴方達は、たとえ嘘だとしても一緒に過ごしてる時間だけは味方でいることが仕事なんだし。勿論、味方でいるのは相談中の1時間だけでいいし、毎週ここに来る時間以外は私の存在なんて忘れててくれてていいです。1時間の枠を超えて味方になれるわけが無いというか、味方は味方でも種類が違うものだと思う。家族友達知り合いなどと並べて、軽々しく「私も味方だからね」とか言わないで欲しかった。だってお金無しでは成り立たない関係なんだし、最初にお金で結ばれた以上、今後金なしの関係になれるわけがないので。金なしで私的な関係は結べないでしょ?そういうことだよ。ここで「それでも関係は結べる」とか答えなくていいし、私はお金抜きで関係を持ちたいわけじゃない。これは答えのない問いなのです。繰り返しになるが、私は貴方達と金なしの関係を望んでいるわけではない。

ここまでどうにもならないような愚痴ばかり吐いてしまったが、通院できない人やカウンセリングを受けられない人は沢山いるし、私も今の病院やカウンセリングに辿り着くまで本当に沢山回り道して傷ついたので、当たり前とは思わずにもっと感謝すべきなんだよな。金払ってそれなりに話せるだけ(傷つけられないだけ)、昔に比べたら今は全然恵まれている。

 

 

 

9月9日

簡単に踏み台にされたくない。自分だって人の事そんな風に扱いたくない。踏み台にする/されることが悪いんじゃなくて、その後何事も無かったかのようにポイ捨てしていくことが無理なんだと思う。だから、簡単に終わりが来ないような契約関係(察してくれ)を結びたい。そんな簡単に離れられないってことを口約束じゃなくもっとちゃんとした契約として結べたらな、なんて。勿論これは、言葉で縛り付けるということではなく、信頼関係ありきの話。でもその代わりに、何かあっても簡単に後戻り出来なくなるし、契約関係を結ぶというのはそれはそれで苦しいことなのだと思う。

でも本当に、そういう関係は夢があるよな。私みたいな人間にとっては。でも現実世界でそれは無理だわ。あぁ〜〜…気持ち悪い。

 


今日の通院で「トラウマ治療に10年かかる(要約)」って言われて後頭部を鈍器で殴られたような衝撃を受けた。冗談やめて〜。10年あったら死ぬって。精神が死ぬというか、下手したら身体ごと終わりを迎える。たとえしぶとく生きてたところで、周りとのギャップで社会的には死んでいることでしょう。今も半分死んでるみたいなもん。「どうせ普段死にたい死にたい言ってるんだし、タイムリミット10年ならキリよくて良くない?」って思うかもしれないけど、【死にたい私】と【死ななきゃいけない私】と【頑張って生きたい私】は全部別人でそれらが複雑に絡み合って生きているので、「死にたいから死ぬ」みたいにそんな単純に言葉通りに解決できないんだよ。まあ私に限らず希死念慮持ちの人はみんなそうだと思う。鈍感な人ほど簡単に死ねとか言うよね。無責任に人を殺すな。

今の私の心は、現実に押しつぶされて「死んだ方がいいのかな」となる時もあれば、死に魅力を感じて「今はまだ怖いけど、その時がきたら自殺せねば」と考えている時もあるし、はたまた「死にたくないから誰も私を殺さないで」と叫び出したくなる時もあるし……他にも上手く言葉に出来ないけど諸々……と常に混乱している。今日の「治療に10年」は、言われた瞬間はショックを受けたけど、正直自分が病気を治したいのか治したくないのかも分からないし、「今日から全てのトラウマが消えて健やか元気!もう二度と死にたくならないよ!」みたいな状態になったらそれはそれで嫌だなと思う。昔は記憶喪失になれば解決すると思っていたけど、辛い記憶が全て消えて、全身にある自傷跡もなくなってしまったら、それは最早私ではないと思う。

 


周りを巻き込まずに堅実に治療と向き合って10年ってことなんだろうな、だから時間がかかるんだ、と無理やり解釈しようとした。

「治療に10年かけてるうちに、きっと私の周りからは人が居なくなってしまいます」と零したら、「そこは周りを上手く頼りながらね」と言われた。多分もっと周りを頼れば自分自身は簡単に満たされるんだろうけど、私の中ではそれを迷惑と呼ぶ。例えば、私の抱える孤独感や希死念慮を相手に背負わせることなんか、言葉一つで簡単に出来る。でもそんなこと絶対にしたくない。

先生が言っているのは「迷惑をかけるほど何でも他人に寄り掛かる」ではなく「適切に人を頼る」ということなんだろうけど、後者については未だにどういうことなのか分からない。程度の問題なんだろうけど難しい。未だに全部迷惑に分類される。

 


10年かかる治療について、先生は「私じゃ追いつかないから心理士にお願いしたいところ」と言っていた。これは、心理士の専門性に加え、時間的な問題(先生が私の治療にそこまで時間をかけられない)が生じるからだと思う。「時間かけてやるならカウンセリングでね、それでも10年はかかるかな」だって。

それなら、尚更、医師と心理士が提携してる場所でやるべきなんじゃないかな?通院している病院とカウンセリングオフィスが上手く繋がれたら一番いいけど、それは無理な話か。

正直、先生の言うこと全て鵜呑みにする必要も無い。私は10年って言われたらそれをそのまま受け取って信じて落ち込んでしまうタイプだけど、そこは自分の向き合い方次第で数年以内に治るかもしれないし。ていうか本当に10年かけてたら日常生活すら送れなくなってしまうから、そこはもう少しどうにかしようね。

 

 

今日もうひとつ、「悪い影響与えてくる人から逃れられないのは、DV被害者が最終的にDVしてくる人間の元へ戻るのと似てる」みたいなことも言われた。分かる、だって私は傷つけてきた人に未練タラタラの亡霊だもん……「いつか幸せになりたい。もう二度と傷つけられたくない」と思っているはずなのに、愛情を与えてくれたり優しくしてくれる人からは逃げたくなるし、自分を傷つけてくる人と居る時の方が妙な居心地の良さを感じたりする。「傷つけられるのが好きなんじゃなくて、傷つけられる方が違和感がないだけです」と言ったら、この心境は理解してくれたっぽい。

 


もしかしたらこの理論が「先生から離れられない」にも繋がる可能性、あるかもしれない。たまに不信感を抱いても結局逃れられないんだよな。まあ私の人間関係の母数みたいなのが少なすぎて、こっちがダメならやっぱり先生しかないね、にもなりがち。

別に先生のこと嫌いではない。ただ、私のことも家族のことも「自分で頑張って」って言うけど、「いや私たちもう頑張ったんだけど」みたいに思うことがよくある。10年以上苦痛でやっとここに来れたのに、まだ自分で何とかしなきゃいけないのか。いやみんな最終的には自分で何とかしなきゃいけないんだけど(平等)、我々が自分で何とかしなきゃいけないゾーンみたいなの広すぎない?多分私たちが優秀で物分り良くてほっといても自分で答え見つけられる人だからそう思ってくれたんだよね。多分そうだと思う。そういうことにしとこ(ポジティブ)

 


もう本当に、切実に金で結ばれてない関係を手に入れたい。先生のこと踏み台にしたくないとか言ってた私、健気で優しいじゃないか。でも残念ながら医者は私たちのこと金としか思ってないよ……

だからって私は、先生のこと踏み台にしてやるとか利用してやるとは思えないんだよね。まあ先生が少し頼りないことに気づいてしまったから、っていうのもあるけど。

やっぱり金の関係の話は誰にも出来ないよな、と思う。金で信頼買えるけど、「そうじゃないだろ!」って思う。それで、この地獄から救われるまであと10年ってなんだそれ。貴方はそのうち引退するくせに。先生、私が物分りいいからってなんでも言いすぎる時ない?私静かに黙ってるけど、大抵傷ついてます。

 

 

 

過去のブログ(言葉にならずに消えていったものたち - 人形の夢と目覚め)を読み返していて思ったのだが、この時「傷つけられるより、自分から傷つきに行った方が楽」という言い方をしていたんだけど、なんだか自分のことしか考えてないし、他人の痛みに鈍感すぎない?と思ってしまった。それやっても私が傷つくだけで終わりじゃないよ。相手も少なからず傷ついているんだよ。最近はようやくそのことに気付き始めた。まあ、「傷つけられたくないからもう終わりにしたい」と思ったのは、その時の自分は相手と居る時に傷つくことが多かったってことだろうし、別に傷つかずに毎日過ごせるなら自分から逃げようと思ったりしない……はず。いや、どうかな。そもそも私は幸せな状況にすら恐怖を感じてしまう人間だから、幸せに向かい始めると「あっ無理絶対耐えられない、これ以上傷つきたくない」になる。「本当は幸せになりたいのに」と考えている時もあるから本心とは逆の行動をとってしまってる気もするけど、「幸せだけど怖い」は矛盾してるわけじゃなく「私にとっての怖い=幸せ」で本当に幸せになることを望んでいないのかもしれないし、混乱する。

違和感を覚える場所からは逃げたっていい。でも相手に問題がない時は、急に音信不通になるよりも自分の気持ちは伝えた方がいいのかな?とか今更罪悪感。相手に問題がなかったとは思わない。今年だけでも色んなことがあったけど、毎日じわじわ心がすり減っていくみたいで正直辛かった。でもそれは本当に相手だけの問題か?相手に違和感を感じてしまうのは、自分のキャパが足りないせいじゃないですか?

 


まあ結局、戻りたくなるんだけどね。逃げた先で平和な日常が手に入った途端、強烈な違和感を覚える。「この間みたいに毎日傷つけられていた時の方が生き生きしてたんじゃないか」「傷つきながらも頑張っていたあの時の自分の方が強く美しい」、幸せへの漠然とした恐怖感、不当に扱われる方が落ち着くよね。