どうやら、自分を許すか許さないかということも自分で決めていいらしく、弱虫の私は「殺してくれよ」と泣いている。

私、本当は自分で何も決められない、決めたくないのかもしれない。

別にこの先の未来でどんなことが待っていようと、自分がしたくないことは拒否したっていい。

自由を与えられるのが怖かったのかもしれない。私のような弱虫にとっては自由は怖い。太宰治も言っていた。弱虫は幸福を恐れる、綿で怪我をするのだと。

幸せが手に入りそうなことが怖い?私のような人間が一丁前に幸せを味わっているのを見下ろすのが怖い?「この人はいつかきっと私を脅かすだろう」という想像をして怖くなってる?私が少しでも拒否したら全てが終わりそうなことが怖くて怯えている?そうやって今後誰とも関係を築いていけなさそうだなと勝手に想像して勝手に決めつけて怖くて泣いてるの?分かんないね。

分からない。私は罰として嫌なことを受け入れようとしてるのか(自傷の一環)、罰以前に嫌とも思ってないから素直に受け入れてるだけなのか。初めてのことには好奇心と不安はつきものだから、私の感情も普通と言えば普通なんだろうし、ふたつの感情が混在していても何もおかしいことではない。そんなに自分のことおかしい人にしたい?異常だって思いたい?「そうしないと辻褄が合わないとか説明がつかない」とか、じゃあ辻褄とか説明って何なんだよ。

今まで、自分が嫌なのか望んでいるのかは置いておいて、「世間的にはそういうルールだから」、「空気読まないといけないから」と、何でもかんでも言い訳がましく受け入れてきてたけど、世間体ばかり気にしてそこに自分の感情がないよね。感情は抑えるべきだと思ったり、自分が感情的になるのを許してなかったところはある(罰というか自制?) そもそも、「私の恋愛観は人と違います」とか言って、「世間みんながそんなことする人間だと思うなよ」って偉そうな口聞いてきたけど、なんだかんだ一番スキンシップ義務にとらわれてたのは私で、男女関係にならなきゃいけないと縛られてたのも私で。でも過去に同姓を好きになってしまったことは嘘じゃなくて。死にたい。泣きながら書いた。でも本音が言えて嬉しいよ。恥ずかしかったけどやっと言えたって、今日先生に陽性転移したきっかけの話した時もそんな気持ちだった。

気持ち悪くて死にたい。そんなことで死ななくてよくても、じゃあ最悪死ななくてよくても、私はこの恥ずかしさをどう折り合いつければいいか分からない。殺して欲しい、他人に傷つけられたい、という他力本願。殺す価値ないからお前なんか。

傷ついて不幸でいたいだけなら他人巻き込むな。私なんか早く死ね。死ねって自分に言ってる時気持ちいいんだろ。キモイんだよ死ねよ。お前の考えてる綺麗な自殺なんかじゃなく、本当の意味で死んで地獄に落ちて苦しめ。死ね馬鹿。生き地獄でもいい。苦しめ。

 

久しぶりに死ね死ね言われたな、自分に。気持ちよかったか?楽しかったか?馬鹿じゃないの。本物の変態じゃん。今日、「僕は、◯◯さんは罰を受けるべき人間だと思いません」とハッキリ言われて、一瞬救いを感じてしまったが、他人巻き込んで勝手に死にたくなって、死にたさにさえ心地良さを覚えてるなら、一生かけて償えやクソ罪人、死ぬのも許さねーよお前なんか、って気持ちです。優しい言葉かけてくださったのにごめんなさい。
久しぶりに死にたいです。でも死にたくなったことが嬉しいです。死にたくないから死なないけど、死を選ばないギリギリで泣いているこのポジションがたまらなく快感です。キモイんだよ死ね。
こんな自分に対して、「いい加減にしてね」と自分で押さえつけてるのも多分快感のひとつで、むしろ他人から「好きにしたら?ちゃんと生きなくていいよ」と言われることの方が絶望なんだろう。どうして?自由って痛いですね。与えられることは幸福なことですね。与えられないと思っているだけで本当は与えられてるのに、私はそれを見たくないと目を逸らし続けて、そんな自分に痛みを与えることで生かそうとしている。
こんなことしなくても生きてていいんだよね。どうしてだよ。そんなの納得出来ません。十字架から開放された私は一体何になれるというのですか?今更どうやって生きていけばいいんでしょうか。そもそも私は何者なんでしょうか。大多数の人は全部自分で答え出せるね。答え出したくなくて、何も考えたくないから、逃げ回っての自傷や自殺未遂なんだね。「お前は情けない人間だ」なんて声をかけると「私」が喜んでしまいそうだから、あえてなんの言葉もかけてあげない。本物の無視を味わって、その先でよりよい生き方を見つけなさい。