六番の診察券

「ワクチンで死んだらどうしよう、死にたくない」と、「ワクチン打つのが怖いから今すぐ自殺したい」が共存している矛盾。

本日15時にワクチンを打ってきた。数日前から風邪っぽい症状があったり、日常的に服薬しているがワクチンを打っても問題ないのか何度説明を受けても心配が尽きなかったりと、心身共に調子が悪かった。まあ、風邪症状は今朝には殆ど治っていたし、そもそも薬なんて大した量を飲んでないし、主治医にもワクチン接種の許可を得ているのだが。

問診票に心配事を詳細に記入したものの、平熱でアレルギー症状も持っていなかったためか、「ちょっと待って」という暇もなく流れ作業のように左腕に注射針を刺されて終了。てっきり15分待機じゃなくて30分待機になると思っていたのに。

ワクチンを打ち終わって待合室の椅子に座っている時、涙が止め処も無く流れてきた。理由もないのに勝手に涙が流れてくるのはいつぶりだろう。漠然とした「死にたい」に脳が支配されるのはいつぶりだろう。さっきまで誰よりもワクチンの副反応を心配して、接種後にアナフィラキシーで死んだらどうしよう、15分の待機時間を待たずして倒れたらどうしよう、帰り道の車で意識を失ったら、家に帰ってから意識がなくなったら……等と考えていたのに。死にたくないんじゃなかったのか。でももう止まらなかった。マスクの中で溺れそうなくらい泣いた。そのマスクのお陰で誰にも気づかれることは無かったのだが。

昨日、出来心で「リーマスを飲むのを辞めたら、どれだけ感情の振り幅が大きくなるんだろう」などと呟いたが、多分こんなもんじゃ済まないくらいの地獄が待っているだろう。また気付いたら屋上のフェンスによじ登って向こう側に行こうとしたり、刃物が目に入る度に自分の胸に向けてみたり、空き時間一人になる度にドアノブで首を吊ったりするような、そんな過去の生活に逆戻りかもしれない。

最近も相変わらず、毎秒憂鬱で、毎日地獄だ、みたいな顔して生きてるけど、地獄ってこんなものじゃなかったよね。本当の地獄忘れちゃった?それでもまあ、「私は昔のようにもっと痛みを受けるべき」とか、そういう余計なことを考えるくらいなら、今の生温い"地獄"に満足して生きていったほうがいいと思う。

包丁を見ても「これは自分を傷つけるための道具じゃなくて料理をするための道具だ」ってちゃんと認識出来るようになったのは凄いと思う。当たり前のことなんだけど、それが当たり前ではない時があった。もう包丁で胸を刺す真似をしなくていい。「ここを刺して今すぐ死ね」なんて声は聞こえてこない。カッターで手足を切るのではなく、鉛筆でも削ってデッサンの練習をしてください。縄跳びや着物を着付けるための紐は、それぞれ正しい使い方を守ってください。用もないのに高いところに登らないこと。そこから身を乗り出して、地面を、人生を見つめないこと。

 

いつも何気なく聴いていたお気に入りの曲、改めてタイトルを見たら「いつもではないけど、私はまだ時々あなたの夢を見ている」という意味で少し泣きそうになった。

嘘つき、では無いんだよな。そう、嘘はついてないの。世の中どうしようも出来ないことばっかりだ。「ずっと一緒ね」という言葉が、「ずっと一緒にはいられないけど、出来ればそうしていたい」に変わった時、気持ちそのものも変わってしまったんだなと嘆いていたが、全然そんなことは無かった。「ずっと夢見るようなことばっかり言ってたのに、段々現実的なことばっかり言うようになったのね」なんて、少し苛つくような、寂しいような気持ちになっていたけど、言葉通り夢なの。それは現実とはかけ離れている。みんな最初から夢の話しかしてない。それをどういうわけか、永遠を約束されたような気分になっちゃって、私は馬鹿みたい。

先生に「以前、ずっと一緒にはいられないけど〜、って話をしてくれたじゃないですか。あれ、凄く嬉しかったです」って言ったら、「そんなこと言ったっけ」みたいな顔しててちょっと寂しくなった。まあそんなものだよね。別に言った本人が覚えててくれなくても、私がその言葉を大切に出来ているならそれでいいか。

私はみんなから貰った言葉を宝物みたいにして生きています。