樹海の涙

大丈夫じゃない。本当は大丈夫なはずなのに、何故かいつも絶望している。死ぬことというか「自殺」というものの引力が凄い。踏ん張ってないと向こう側に引きずり込まれそうになる。


死にたくないけど生きていたくもない。どちらかと言うと死にたくないが勝っているので、何とか命を伸ばしている。昔は死ぬ勇気が欲しかったけど、今は生きる理由が欲しい。

でも、その一方で、漠然と「もう終わりだ……」みたいな気持ちになっている。死にたくない。かといって元気に生きていく自信がある訳でもない。元気じゃなくても命がある限りは強制終了しなくてもいいでしょ、と思えるようになった自分もいる。(これが自分の全てではない)まあ、自分がどうしようもない人間だということに変わりはないけど。「生産性がない」って嫌いな言葉だから極力耳に入れずに生きていきたいけど、自分がまさにこれに当てはまるから落ち込んでしまうし、生きててすみません……みたいな気持ちになる。生産性なくたって生きてていいのに。

ふとしたことで傷ついて、死ぬことを考えて現実逃避してしまう。実際に行動に起こさなくても、死に思いを馳せるだけで幾分か心が軽くなる。辻村深月の小説、『オーダーメイド殺人クラブ』の「来年までに、私は、徳川に殺してもらえる。殺してもらえる、殺してもらえる」「私は、徳川に殺してもらえる」「殺してもらえるから、大丈夫!絶対、大丈夫」(300頁)を思い出す。希死念慮から離れて明るく元気に生きていくのは、多分無理。むしろ、「死にたい」を支えにして生きている。支えが無くなった時にこそ死ぬ。私のこと殺したい人はどうぞ「死にたいとか言うな」って説教してみたらいいと思う。

なんかたまに「どうせいつか死ぬよ」とか言われることあるんだけど、そういうこと言われる度に、「違うよ、何も分かってないんだな。別に分かんなくていいけど、いつか寿命が来て死ぬことと私が願う死を一緒にするな」って思う。違うんだよ本当に。分かんなくていいですけど。

ああもう、何かに押し潰されそう。

 

 

お盆の終わりに、こんなことを呟いていた。

「毎年、お盆休みが終わった後くらいから、徐々に秋の気配を感じ始めて少し寂しくなる。だんだん暑さに悩まされなくなり、夜に肌寒さを感じるようになり。ひぐらしの鳴き声も、いつも以上に切なさを感じるようになり。秋は秋で楽しいことが沢山あるんだけどね」


切ない夏の終わりも通り過ぎて、ようやく秋の訪れという感じがしますが、金木犀の香りを感じると泣きそうになる。秋の訪れ、幸せなはずなのに。今の時期、気温も高くなくて過ごしやすいし、昼下がりに陽の光に包まれる時間が心地よいなと思えるんだけど、同時に物凄い絶望感に襲われる。思い返すと、過去のこの時期はいつも学祭の準備とかワクワクする予定が沢山あって、秋は毎年キラキラ生き生きしてたはずなのに、どうしてだろう。全てが穏やかなのに怖い。幸せなはずなのに、自然の美しさを実感する度に泣きそうになる。何か重大なことを忘れている気がする。「季節の変わり目に調子が悪くなる」とはまた別の漠然とした絶望感。何も大丈夫じゃない。でも私のことを勝手に守らないで欲しいし、守るべき存在みたいな扱いをしないで欲しい……