脳内私会議

3月12日(土)

自殺寸前の時に書いた日記、凄まじい。こんな状態でよく社会に出てたな、と思う。でも、自分に対して「もう何もせず休みなよ」とは簡単に思えない。休むべきなのは明白なんだけど、何とか休まずに自分の居場所を守りたかったこととか、逃げたくなかったこととか、そういうのが全部分かるから。私は、2年前の私に「全部辞めて休んでいいよ」と言ってあげるのが正解なんだろう。でも、貴方が頑張りたかったこと、諦めたくなかったこと、私は全部分かる。今となっては、命と天秤にかけてまで守るような場所じゃなかったって言えるけど。正直、今も二年前も全く変わってないから、この問題への正解がわからない。ただ昔の自分に「分かる。分かるよ」と言うしか出来ない。これは"言ってあげてる"という感覚ではなく、心からの共感。でもまあ、首吊りが日課になってるのに「社会に出なきゃ」と義務感を抱く必要は無いと思うよ。2年前の私よ。

 

3月18日(金)

今日一瞬だけ、「忘れることが最大の復讐なのでは」と思えた。私はこんなにも傷ついてるのに、こんなにも怒ってるのに、不誠実な人間はみんなのうのうと人生を歩んでやがる。悲しいよ。多分私がどれだけ怒っても何も通じないような人達だから、怒り続けることが無駄なんだと思う。私が無駄に怒り続けている間に、彼らはもっともっと人生を謳歌していくだろうから。言葉の通じない相手に何を言っても仕方がない。彼らは私が望むような形で詫びてくることなんて一生ない。私は、「一生そのままでいれば?」と見下して、「私は私で前に進むから」って変わっていくしかないのかも。「見下す」という過程は余計かもしれないけど、そうでもしないと心を強く保てなくて、すぐに落ち込んだり、自分を否定してしまうから、「私は悪くないんだ」って思うためにはこうするしかない。傷つけてきた人が全員似てて、同じタイプだってことに気づいてイライラが爆発した。偉そうに私の友人を評価してたけど、お前がまさにそういう人間じゃん。馬鹿じゃないの?一言くらい謝って来るだろうと思って残しておいたけど、いつまで経っても既読すらつかなくて、そういうところがよく似てるよ、と思った。私ばっかり1人で強くなるの悲しい。強くなるっていいことなはずなんだけど、多分強くならなくていい部分まで強くなっちゃったよ。私のこと、弱いって評価する意味分からないな。強さと弱さを履き違えてる部分もあるかもだけど、私自分のこと弱いだけの人間だとは思ってないよ。そして許すこと、捨てることも強さのひとつだと思う。今回のこと、許すのは難しいだろうから許さなくていいけど、早く捨ててしまおうね。

 

3月20日(日)

あの頃、本当に毎日がキラキラしてたな。辛くてたまらない時もあったけど、同じくらいキラキラしてたの。当時の私は、貴方が安定剤みたいになってたのかもしれない。変わらずに愛情を注いでくれる人がいるお陰で、私は明日を楽しみに生きることが出来ていたんだ。でも、愛情を受け取るばかりになってなかったかな?私も同じように言葉で返していたつもりだけど(先に与えられたから義務感で返すのではなく、私も心から伝えたいと思ったから)、同じ大きさで返すことは出来てなかった。間違いなく甘えてたよね?明日も明後日もこの先もずっと、変わらないでいてくれると思ってたからでしょ?いつか「ずっと私が変わらないと思ってるでしょ」って言われた時、頭がサーッと冷えていくような、そんな感覚に陥った。助けられていたのは私の方だった。

 

3月21日(月)

・過去、私が書いた文章には努力という言葉がたくさん登場する。努力、好きだね。熱い生き方ですね。でもよく考えて見てほしい。貴方がやってきたことは本当に努力と言えますか。泣きながら絵を描く。自傷行為をしながら絵を描く。「私は弱くないので出来ます」というアピールだな。本当に弱くないなら、ただ目の前のことに誠実に向き合うでしょ。その場から逃げてないとしても、貴方の行いは全て逃げです。でもそんなアピールをしている一方で、「お願いだからもう許していただけませんか」「私が何をしたというのでしょうか」と考え続けていた。絵を描く環境においては私を「許さない」という人はいなかった。創作は、許す、許さないの話じゃないから。でもそれ以前に、心の中にできた許されない感覚を(無意識に)創作の場に持ち込んでしまったことがよくない。犯罪でも犯さない限り、私のことは誰もジャッジできないのに。絵を描くことと許されることはイコールで結びつかないのに、泣いて許しを乞うて、何も言えない雰囲気にしてしまったのは問題である。創作の根底にあるのが「許して」という感情なんだけど、許して欲しい思いをぶつけて表現したとかじゃなく、「何の表現も出来ないので許してください、私は自分が分かりません」「本当はこんなところで絵を描いてるつもりなかった、本当は死ぬべき人間でした」でしかなかった。後者なんて、「これ以上攻撃しないでね」って予防線じゃん。なんでこんなに恥ずかしい人間だったのに、高校大学と出ちゃったかな。

・文章を書いている時だけは全てから解放されていたように思う。許してくださいとか許してもらうために何かを書いたことなんてない。確かに、「許して欲しい」という文章を書いたことはあるけど、それは全然意味が違う。

・死にたすぎて大号泣している中で、はじめて「このままでいいのに」と思った。私、このままでいいのに。私が紡ぐ文章とか、私が普段どんな事でも真剣に考えて最善を求めて生きていることとか、何も悪くないのに。私は私が好きだ。殺したくなかった。死んで欲しくなかった。生きていたいとも思わないが、死ぬのは嫌だった。このままでいいのに、と言いながらしばらく泣き続けていた。江國香織の小説『きらきらひかる』のことを思い出していた。何の取り柄もない、何事も長続きしない私が唯一続けてきたこと。文章を書くこと。自分の書いた文章を読み返すと「この子を生かしておいてあげたい」、「この子に生きていて欲しい」と思う。別人を見下ろしているかのような感覚で。死なないために、会いたい人の名前を紙に書いてみた。紙が涙で滲んだ。これを御守りのように持ち歩こうと思う。

スマホから何の通知もならないことを寂しく思っていたけど、私の言葉が好きだと言ってくれた人がいたから一瞬救われた。でも、別に誰からも評価されてなくても、私は私の言葉が好きなんだよね。その感情が暴走し始めると、「もっと多くの人に見られてもいいはずなのに」なんてよろしくない方向に向かってしまうのかもしれない。承認欲求を拗らせずに、素の貴方が書いた、ありのままの言葉こそ美しいと思いますよ。

 

3月22日(火)

自分のことを愛せない私を、そのまま誰かに愛してもらいたかった。そんな甘えが、未だに心の深い部分に根付いている。あのねぇ、君がそうやって愛してもらうことを人に委ねすぎている姿勢そのものが、愛されない原因なんじゃないですか。

 

3月23日(水)

・「やっと安心できる場所を見つけたかも」って夕方までは思ってたけど、夜になってまた急に不安になってきた。

大丈夫になった部分もあるだけで、全部大丈夫になったわけじゃない。今日帰ってきて、高揚した様子で「初めて泣かずに話せたよ」「初めて目を見て話せたよ」「今日行ってよかった」と語っていた私も真実なのですが、きっとまた揺らぎます。揺らぐ私も真実なのです。「やっと変わろうって気持ちになれたんじゃないの?」「昨日はあんなに元気だったのに」お願い、そう言わないで。言い訳に聞こえるかもしれないけど、今までの人生の苦しみが80分で消えるわけがないんだよ。今日話を聞いてもらった直後は、救いが見えたような、すごくすっきりした気持ちになって、興奮したまま全てを他人に人に伝えて「よかったね」って言われて、私も「よかったな」って思ってたんですけど。今、時間が経って「いやまだ全然大丈夫じゃないんだけど」と自信をなくして不安になってきた。いや多分、「これから大丈夫になっていく。今日その準備段階に入った」ってことは理解してくれてると思うけど、今日帰ってきてからあんなに明るく話してしまったせいで、もう一進一退は許されないんじゃないかと思って。誰にもそんなこと言われてないのに、また訳もなく泣きそうになってる。仕事頑張りたかったのに行くのが怖くなっている。すみませんが、私は今のところ、人生で"持続可能な大丈夫"を手に入れられたことがないのです。私は産まれてから今まで、"大丈夫"だった時なんてありません。でもさあ、そういうことを分かった上で、来週も行こうって決めたんでしょ。そうだとしたら、3月23日午後4時半の私は立派だったんじゃないでしょうか。

・メモ:依存させてくる専門家は不健全である。

 

3月24日(木)

・今日のお昼休みを泣いて台無しにしたら、あとの3日間も全部地獄になっちゃうってことだよ。一度泣くというのはそういうことです。この次は上手くできるかなって不安や焦燥感でダメになって悪循環になるから。死ななくてもいい。「死にたい」「死ななきゃいけない」という感情も、実は自分を守るための手段なのである。昔は自傷という分かりやすい行動に現れていたのが、今は精神的なものに変わっただけ。どっちも自分を守ってる。そうでしょ?生きたくなくなる気持ち、分かります。この世はどうしようもないことだらけ。幼い頃から毎日のほとんどが不安で埋め尽くされてきた君にとっては、ひと時の楽しみや喜びなんかで、不安や恥が帳消しにされることは無いのでしょう。でも好き。死にたいに思いを馳せて生きてることこそが生きがいなんですよね?

あのさぁ、自分のこと嫌いになる時も好きになる時も全てが極端だよね。好きな時、興奮して動悸が止まらないでしょ。実際には出てないけど、精神的鼻血を垂れ流してるような状況でしょ。だから、好きになってもこれだから困るんだよ。こんな極端すぎる感情、普通はポジティブに分類される感情だとしても、何も良い結果をもたらしてなくないですか。自分のこと好きな時も、他人を好きになる時も、一生泣きながら血を流し、そんなボロボロになって生きていることに喜びを見出しながら、「死にたい殺してくれ」ってなってるでしょ。

ウケる。好きだよ。自分で好きだって思えるところこそ、このままでいいって残しておけたらいいけど、頭で「このままでいい」って思ってても、自分の身体は悲鳴をあげてますよね。ボロボロになること、血まみれになること、涙が止まらなくなること、確かに自分を守る手段だけどさ、そもそも「自分を守る手段なんだよ」という考えは、死ななくて済むためだけのアンサーであって、じゃあ実際に社会生活を送らなきゃいけないことに対しては話はまた違ってきますよね。社会には血まみれでは出れないだろうが。

・「何が辛い?」って聞かれた時すぐに答えられなくてごめんね。26年分の悲しみや不安に名前がつけられると思うか?


・「どうしてお昼休みが嫌いなの?」

「ご飯が食べられないから」

「ご飯は絶対食べなきゃいけないものだと思う?」

「心配されるから」

「ご飯食べられないことで(それだけじゃないにせよ)君が死にたくなること、本当に死のうと行動を起こす方が、余程心配だよ」

「ご飯を食べると泣いちゃうから」

「泣いてもいいよ。食べてもいいし食べなくてもいいし、グラウンディングが上手く出来なくても自分を責めなくていい。こんな状況になっても薬飲めない事を責める必要はない。今、君の身体はお薬以外の救いを欲しているんだね。こうしたい、ってことはある?」

「何もしたくないです。気の済むまで、休ませてください。1時間ほどで済むかもしんないし。もう嫌です。私の「死にたい」は「もう嫌です」なのですか?そっちの方がもっと嫌なんだけど。触らないでください。でも話はしてください。そのうち私が喋れなくなっても責めないでください。ずっと一緒にいてください。踏み台にして自分だけ元気になるのは嫌だけど、貴方は物語の登場人物だから、私が貴方にしてあげられることなんてないし、それが物語の中で貴方に与えられた役なのだとしたら、それでいいって思ってもいいですか。ねえ」

応答無し

 

・「ホッとしてる時に涙が出るなら辛いよね、本当は休まるべき時間に休めてないよね。一日の中に休める時間、ないんじゃない?」って見抜いてくれてありがとう。

・君が今日一日を生き抜くために選んだ洋服もメイクも香りも、カバンに忍ばせた飴玉も、音楽も、泣いたら全部台無しになるって思うから辛いんだよね。でもこれ書いてるうちに泣いちゃったわ。残念でした。さよなら。もう泣いた事実は変えられないんだしそれでよくね。別に台無しなんかにならないよ。台無しにさせないよ。私にその力がなくても、私の中に生きてる人たちが台無しにならないように、暗い水の底から引っ張りあげてくれるよ。でも助かりたくもないんだよね。ずっとこのままで、死ぬことも無く、生きる希望も持たず、死ぬための行動も何も起こさないまま、死にたいを支えに生きていきたいんでしょ。そうしなさい。生きなさい。正しく狂った姿。何が悪いんですか?

 

・「ねえ泣いちゃったじゃん、お前のせいで台無しだよどうしてくれんの?」

「私は詩音ちゃんのためを思って、詩音ちゃんを守りたくて泣いてあげたんだよ」

「あーお得意のそれ。誰かのためを思っての行動、得意だよね。時に厚かましいくらいのそれ。君はそういう人間でしたね。あーはい。好きでもあり嫌いです君のそういうところ」

 

・どうにかしたいのにどうにもなりたくなくて、どうしたらいいのって考えたんですけど、「君がそのままでいるために、ちょっとだけお手伝いが必要だから、そうしてるだけだよ」ということなんですよね。これからやろうとしてることは。「僕は君を無理やり変えようとしてない、君の"そのままでいたい"という願いを叶えるために、君が気付いてないことに対して、ちょっとだけヒントをあげに来ただけだよ」そういうことですよね?

・今日仕事するために来たんであってご飯食べるために来たわけじゃないから、お昼食べれなくても大丈夫。

 

・「学校の保健室って何のためにあると思う?」

「怪我した時や体調悪くなった時にすぐ駆け込めるように。特に子供だと、1人で家に帰って休むってことが難しい時もあるし、一時的な避難場所として?子供と病院が直接繋がるのは難しいからその橋渡し的な役割として?」

「じゃあ社会に保健室がないのはどうしてでしょう」

「大人は自己判断で休んだり病院に行けるから。言わば、自己判断でそういうことが出来ることが大人なのだと思う」

「君は子供ですか。大人ですか」

「大人になりたくなかった子供かもしれません」

追記:そういえば、会社にも産業医産業カウンセラーが配置されてるところもあるってことを思い出しました。今の今まで忘れてました。でもさぁ、本当に会社の中に"保健室"なんかがあったら今すぐ全てを辞めさせられるよ。保健室という逃げ場が無くなったおかげで戦えるようになった部分もあるのではないですか。