終焉

一年前の夏に陽性転移を打ち明けてから少しずつ良い関係を築けてきたと思っていたのに、また最近になって全てが逆戻りしてしまった。

 

数日前に「何でいつも病院から帰ってくる時だけ泣いてるの?」と指摘されたことが、自分の異常性に気付くきっかけだった。

診察で先生に嫌なことを言われたわけでもないのに、いつも泣いてしまう。毎回"話してるうちに気付いたら泣いてた"って感じだったんだけど、"先生の前だから安心して泣ける=先生を信頼している"ってことだと思ってたし、"普段泣けない分デトックス的に涙を流している"という感覚だったし、何より"病院が安心できる場所である証拠"だと思っていた。でもシンプルに先生に甘えていただけだった。こんなこと他人の前じゃ絶対しないもん。"悲しい話、辛い話をしてるうちに泣いてしまった"っていうのも勿論あるけど、結局泣けば先生が優しく慰めてくれるから、無意識のうちに慰めを求めて涙を流してただけかもしれない。

私は今までまともに他人と人間関係を築いたことがなかったから、先生との関係で生じた好意も愛情も不安も不信感も怒りも悲しみも嫉妬も、全部いつか先生以外と関係を築けるようになるための訓練だと思ってた。お金を払って訓練してるような気持ちだった。先生のことが好きすぎて日常生活がままならなくなる度に「どうしよう、何で私ってこうなんだろう、結局転移って何?どうすれば落ち着ける?」と取り乱していたけど、頭の片隅では「今まで他人に出来なかったことを先生にぶつけてしまってるだけ」と冷静に状況を受け入れている自分もいた。まあ激しい感情って理屈じゃどうにもならないから、頭で分かってるつもりでも毎回パニックになるんだけどね。
繰り返しになるが私は、お金を払っているからこそ成り立ってる関係だって理解してるつもりだった。私が毎回の診察で取り乱したり泣いたり長々と話を聞いてもらったりするのが、支払った料金で賄えているのかは不安だけど。

「先生が好き。先生が居ないと私はダメなんです。何もかも不安なんです」と、四六時中先生のこと思い浮かべてるけど、私は別に先生とプライベートで会いたいとか思わないんだよね。病院でお金を払って会いたい。病院の外で仲良くなりたいと思わないし、連絡先を手に入れたいとも思わない。むしろプライベートで偶然会ったりしたら心臓もたなくて失神すると思うから会いたくない。以前、先生が私の新しい職場に興味持った様子だった時も(来ないで……)って祈ってたくらいだし。何でだろう。
プライベートの私を見て安心されて、「元気そうだね(もう私の診察は必要ないね)」と思われるのが怖いのかもしれない。こんなの他人に知られたら「治す気ないの?」とか「元気になりたくないの?」とお叱りを受けそうだけど、私自身治療には前向きなつもりだし(本当に治す気なかったら症状も訴えないだろうし、そもそも病院だって行かないかも)、辛かったり死にたかったりで泣くのも現状を変えたいからだと思ってる。ただ、私自身が「よくなりたい、まともな生活を送れるようになりたい」とは思ってる一方で、「私は幸せになる資格がない」と幸せを拒んでいるところはあるかも。無意識に遠ざけてる感じ。
 

でもさ、去年の夏、先生は「色々と軽率なことをしてすみませんでした」って謝ってきたけど、特別扱いしてくるから勘違いしたんだよ。

 

 

 

やっと自分でも納得できる生き方を見つけたと思ったのに、結局現実世界でまた先生に依存、執着し始めた。頭の中で想像してる先生は、多分私の期待やイメージ、理想が入り交じってて、もはや本物の先生とは全く違う人になってるかもしれないけど、何故か頭で考えるだけでは全く満足出来ず、現実世界の先生にも没頭して、触れ合い(精神的、物理的含む)を期待し、甘えまくって生きてしまっている。

私のような愛情や触れ合いに不慣れな人間にとっては、こんなことは経験しない方がマシだったんだよ。一回きりのハグで安心感なんて得られるわけがない。それどころか、もっと、もっと、とエスカレートしてしまうに決まってる。触られた瞬間に一度でも喜びや安心なんかを覚えてしまったら、その先 私は"ずっと触れ合ってないと安心できない人間"になってしまう。
先生に対しても「そんな私に軽率に触れて、私がエスカレートしたり狂ったりするって想像つきませんでしたか?貴方はプロなのに」と問い詰めたくなる。身勝手ではあるけど「責任取ってよ」と叫びたいくらいの気持ち。でもそんなこと絶対に言えるわけないし、言ったところで責任なんて取りようがないから、私はいつも人と出会った瞬間から「私のことを簡単に好きになったり触ったりしないでね。だって責任取れるわけないんだから」という気持ちを抱いている。だから、何の断りもなく拒否も出来ない状況でいきなり体に触れてくる(触れさせた)のは、今考えるとキツかったな、と思う。

責任とるって自分で言っておきながら何なんだろう……とも思うけど、無理やり言語化すると「保護者のように近い関係になって欲しい」とか「いつもそばにいて欲しい」なんて表現が近いのかな、と思います。 
でも、どんな人相手でも(家族も配偶者も友達も恋人もその他諸々)、いつまでもずっと一緒にいることは出来ない。私が望むような"永久保証の安心感"なんてどこにも存在しない。だから本当は誰も責任なんてとれないのだ。「責任取って」、なんて考えが浮かぶことが馬鹿げている。
世の中大勢の人はこんな不健全な気持ちを抱くことなく、永遠など存在しないことをちゃんと理解して、今を大事に生きていってるんだろうな、と想像する。
今までは、「永遠が存在しないなら絶対に誰よりも先に死にたい」と思っていた。でも今はそんな簡単に死を選びたくないと思ってるし、いつか関係が切れた時に本当に自殺で死ぬ勇気があるとも思えない。本当はそんなことしたくないけど、耐えられなくなったらそれしか道がないのかな、なんて考えることがある。自ら死なずに生きるとしたら(何だかんだそういう未来になってしまうと思うが)、その頃はまた別の誰かに依存してそうな自分がいる。それが嫌だから何もかも投げ出したい。

 

何と情けない人間なんでしょう。毎日泣いてる。でも最善を尽くそうと努力はしてる。先生だって「頑張ってるね。大丈夫だよ」って言ってくれた。事実を淡々と書いたつもりだけど、傍から見たら言い訳ばかりで痛いよね。別に誰かの為に書いた訳ではなく、自分のために記録しただけだけど。もういいです。私は先生に甘えてるだけの我儘人間です。ちゃんと認めて、そこも含めて治療します。