2月になった。2019年になって早一ヶ月が経過した。1月はずっと辛くて、眠ってしまって明日が来るのが怖いとか、今日と同じような幸せな1日が明日はこないかもしれないとか、こんな日々がずっと続くわけじゃないとか、寝る前にそんなことばかり考えていた。体力の限界がくるまで眠れない日々、2年前のよう。

それでも1日1日ちゃんと時間は進んでいた。乗り越えたことも乗り越えられなかったこともある。やり残したことや解決できなくなったこともある。もうすぐ私は卒業する。

 

1月が辛かったのは、叶うはずのないことを夢見ていたからだと思う。毎晩来るはずのないものを待って、どうか、目が覚めたら楽になっていますようにと願いながら眠りに落ちて。朝起きて絶望することもあれば、喜びに涙を流しそうになったこともある。そんな幸せだってずっと続くわけではないことを知っていたから悲しくてたまらなくて、ずっとこの苦しみから解放されることはなかった。夜が来たら同じことを繰り返す。明日も不幸なままか楽になるか、考えたって答えは出ないのに考えずにはいられなくて、意識を手放す瞬間まで私は考え続けた。

 

いくら薬を飲んだって私の根本は変わらないんだから意味がないのだと気付いた。考えずにはいられない性分だから。

分かっていながらも病院に通うのは先生が好きだから。私には先生しかいないんだと言ってしまいそうになったけど、そこまで盲目ではない。むしろ2週間に一度先生とお会いすることで、誰も本当の私を知らないし受け入れてくれない、自分で自分を守って生きていくしかないのだと気付かされる。

先生だって私を守ってくれない、悲しいけどそれを受け入れて生きていかなければならない、と 先生に会うとそう思うのです。

 

先生は何人もの患者を相手にしていて、私は何人もいる先生の患者の一人でしかなくて。2週間に一度しか病院に行かない。その一度すら足を運ばないこともある。私が死ねばカルテから名前が消える。それだけ。どうせ先生は私のことなんか覚えてない。カルテを見てなんとなく思い出して、マニュアル通りにここ2週間のことを聞き出して記録して、薬を出して終わりだ。先生、自分がサインした書類のことも忘れちゃってて、その時はひどく悲しかったけど、仕方がないことなんだと片付ける。

 

薬を飲むと頭が空っぽになる。ぼーっとしちゃうほどではないけど、不安や緊張をなくすという効果は現れているのだろう。でも、そんな時の自分が何者でもなくなってしまった感じ、死にたいとか辛いとかそういういつもの私を構成する何かが薄れてしまった感じ。それがたまらなく虚しい。何も考えなくてよくなることを望んでいたはずなのに、結局今みたいに生ぬるい場所で自分で自分を慰めながら泳ぎ続けていることが一番いいだなんて。

いつもの感覚を取り戻すために、欲しくもない痛みを与えるのはバカなことだと分かっている。悩みが解決することはないから薬で一時的に紛らわせるだけで、その薬によってもたらされるのはただの虚無でした。こんなのいらない。一人で泣いていた方がマシ。治りたいのかこのままでいいのか、解決する気があるのかないのか、もうわからなくなった。

それでも今晩も夜になったらあの薬を飲んでしまうだろう。一週間後にはまた先生の元へ行く。繋がりを切ってしまう勇気はない。