死にたいって衝動的に思ってしまうけど、実行する勇気はない。そもそもこの歳で自ら命を絶たなきゃいけないようなことをしたのか?とも思う。それでも自分が生きていることが恥ずかしくて許せない。死ねないのに生きることが辛い。

この気持ちを消して生きていけたら楽なのかな。死にたいというより記憶喪失になりたい。過去の嫌なことも、自分自身のことも忘れたい。本当に本当に、どうやったら記憶喪失になれるのかな。

死にたくないけど一回リセットしたい。事故に遭えばいいんだろうか。死なない程度に飛び降りたりすればいい?そんなことしたら周りに迷惑、やらなくてもいいことを自分からやるなんておかしい。

お前が悪いとかもう言われたくない。最後くらい可哀想だねで終わってくれ。事故に遭っても尚私が責められるなら嫌だ、実行したって意味がない。早くこの感情が治ればいい。

 

さっき手元にカッターが入ったペンケースがなかった。それだけ。じゃあ仕方ないか、で終わった。むやみに傷つけることも無かった。いいことなのかもしれない。切らなかったことに対するモヤモヤも特にない。

でも死にたい。今ある不安を取り除いてもどうせまた思い出してつらくなる。思い出せなかったらいいのに。記憶ごと全部なくなればいい。

 

子供の頃、失敗した時に周りにどういう対応されたかでその後の人生が決まる気がする。私は笑われたこと、一生忘れないし、何か失敗する度に死ぬことを考える。恥ずかしいから。これ以上醜態を晒すならもう生きていたくないから。

そうやって失敗した瞬間に湧き上がる「死にたい」っていう感情は、時間が解決するのを待つしかない。未だに思い出したら死にたくなるけど、でも自然に思い出さないくらいにはなれる。毎日ずっと同じことを考えなくても済む時が、時間が経てばいつかやってくることを知っている。

それでも、死にたさの感情は衝動的で激しくて、本当に誰か止めてくれなかったら、いつか間違って命を落とすだろう。間違って、なんて表現をしたのは、これで死ぬことがおかしいことだと分かっているからです。

 

ずっと長い間、同じ理由で自殺を考えているわけじゃない。他人からしたら理解できないような小さな出来事が積み重なって、息も出来ないくらい辛くなって、そこに何か引き金になるようなことがあって実行しようとしてしまう。でもそうやって、今度こそ死んでやるって実行しようとしてる時も、少しの理性はあるから、結局死ねない。死ねばいいのに。色々恥ずかしい思いはしたけど、1番の恥はずっと生き続けていることだと思う。

でも、死ぬことに関して恐怖を感じることもそれがおかしいことだと判断出来るのも、正常な証拠なんだと思う。何も考えずに衝動的に手首を切ることなんてしない、いつもやる前に1度は自分を止めようとするでしょう、その結果切ったのだとしても一度葛藤したならまだいいんじゃないって思う。考える間も無く手首を切るよりもまだ救いがある。そんな時ももちろんあったけど、その後ちゃんと後悔する。だからまだ大丈夫だ。何も考えられなくなったらいよいよ終わりなんだと思う。